一日の中でどの時間帯が一番好きか、と聞かれたら、僕は間違いなく夜だと答えるだろう。

 

朝よりも昼。昼よりも夜が好きだ。

 

朝はなんだか急かされている気がして苦手。

おちおちしていたら、あっという間に昼になってしまう。

 

昼も同じ。必死に過ごしているうちに夕方になり、いつの間にか日が沈む段階になる。太陽は意地悪だ。

 

朝も昼も"終わり"を感じさせられてしまうところが、なんだか哀しい。

 

それに比べて夜はよい。

たとえ錯覚でも、永遠を感じさせてくれる。

刻々と深まっていく夜は、まるでいつまでもこの一瞬が続くような気分にさせてくれる。

夜空の星も月も、静かに柔らかく見守ってくれる。

夜風は涼しく柔らかく体を包み、遠くの電車の警笛や車の走り去る音を運んで来る。

 

人が街が寝静まった夜はとても静かで、考え事は深く繊細に進んでいく。

日中だったら考えられないことも、夜の闇によって壁が取り払われ、思考はどこまでも飛んでいき、広がっていく。

それこそ膨張し続ける宇宙のように。

僕らは広大な宇宙の一部で、考える一本の葦だ。

 

夜の中でも10時を過ぎた頃合いが好きだ。

この時間帯を一体なんというのだろう。

街が少しずつ落ち着きを取り戻し、人が夢の中に入り始める頃。

多くの人が寝ている中で、自分だけが起きているとき、まるでこの世界を独り占めしているような贅沢な気分に浸れる。

 

こんな時間でも、東京ではたくさんの人が夜通しきらきらとした時間を過ごしている。

それも良い。

魅惑的なネオンの光に当てられて、あるいは導かれて、幻想的な時間を過ごす。それもまた良し。

 

夜は僕らは一人ぼっちにする。

孤独になって、不安になる。

 

その孤独や不安を一人で堪能するもよし。

孤独を埋めるように、夜な夜な友達や恋人と遊んだりするもよし。

 

そしてそんな僕たちを、優しく夜は包み込んでくれる。 

そんな夜が好きだ。

自信と強制と肯定と

※かなり読みづらく書いてます。

 

自信。

 

舞台にいる限り、たとえ根拠がなくても私たちは自分を信じなければならない。
嘘でも自信を持たなければ、挑戦することもできないのだから。

 

根拠ない自信を持つことへの抵抗感。
それはきっと…

自信を持ってしまえば、そもそも自分が戦場にいること自体が間違いであることを疑うことができなくなるから。

 

 

いったいあの時間に何の意味があったのだろうか。

どこを振り返っても、後になって意味を見出そうとしても、少なくとも今の私にとっては無意味としか思えなかった。

真剣に楽しくやっていた仲間には申し訳ないが、残念ながら私にとってあの時間は苦痛でしかなかった。

忍耐の時間であり、復讐の機会を淡々と狙う場であり、生気を抜きとられた日々であった。

意味がわからなかった。

楽しそうにそれをする人たちのことが理解できなかった。

何を話しているのかさっぱりだった。

どうして朝も昼も夜もそれをしたがるのかわからなかった。


 

きっと、もっと純粋に楽しむ時間を設けるべきだったのだろう。

何をしても褒められる環境のもとそれを始めればよかったのかもしれない。

いきなり競争の中に投げ込まれたが故に、それ自体を楽しむ余裕なんてなかったのだ。

毎日が必死で、戦場だった。

その狭い社会で生き抜くので精一杯だった。

 

 

続ける中で楽しみを見出すことができるのは限られた人たちだけだと思う。

その他大勢の才能がない人たち ー頑張りたいととは思っていても努力できない人たちを含むー は、することを強いられるものに対して、楽しみを見出すことなどできない。

これは強制の負の側面だ。

 

私は少なくとも…勉強においては才能があった。

私は学ぶことは苦ではない。純粋に楽しい。

医学だけじゃない、あらゆる分野の知識を貪欲に得ることは、面白くて寝る間も惜しんで没頭することすらある。学んだ知識が結びついていく瞬間には心が踊る。

でも、多くの人は勉強は嫌いだ。宿題や期末試験に良い思い出などないだろう。
学校や塾といった強制的な学習の先に、楽しみを見出すことができたのは、小学校のときから学びが自己肯定と結びついていたからかもしれない。

 

私にとって、それは軍隊だった。

理不尽に耐え、より強い心と強い肉体を育てることだった。

いつまでもその場にいることに自信が持てず、続ける意味を見出せないまま惰性で続け、自主的に求められる以上のことはしなかった。

 

私はそれを最初から最後まで好きになることできなかった。

 

文章力を上げる最強の3原則

文章力がどうやったら上がるかぐるぐる考えていたので、その備忘録。

 

文章力を鍛えるための要諦は今のところ3つ。

1. 知識を鍛える。

2. 継続する

3. 語彙と表現力を身につける

 

1. 知識を鍛える。

どんなジャンルの記事を書くにせよ、幅広く深い知識が必要。
優れた考察は、丁寧な比較から生まれるから、そのためには予め頭の中に比較対象となる知見を持っている必要がある。

 

佐藤優の"知の操縦法"という本では、反知性主義と対比して体系知の重要性が紹介されている。
そもそも様々な学問は互いに結びつき関連し合い、体系化されていくものであり、その体系化された知恵のことを体系知と言う。

この体系知を身につけるためには、受け身の勉強だけでは難しくて、主体的な学習がマスト。特に人文科学や自然科学を横断的に学ぶリベラルアーツなどはその最たるもの。

あらゆるジャンルで記事を寄稿できるようになるためには、幅広く学問を学ぶに留まらず、その学問・知識が他の分野にどう結びつくのか、どう役立つのかを理解することが大事。

 

自分はこの必要性を大学生活初期からひしひしと感じていた。この体系知を身につけるために、休学したかったと言ってもいい。
でも結果的に、情報の収集と整理の仕方を工夫することでだいぶ改善された。いまは体系知習得への一歩踏み出していると思う。具体的なハウツーに関してはまたいつかまとめよう。

 

インターネット上に転がる記事は、高校レベルの知識がほとんどであって、大学レベルの内容を書けば人を唸らせることができる。特に、現代は科学信仰があるから、心理学や行動経済学や医学の知識を混ぜると、説得力が増す。

 

一方で、大学院レベルの知識は、披露したところでほとんどの人は理解できないため、認知されずに埋もれがち。

 

あと、貪欲に知識を収集することは大事だけれど、知識に騙されてはいけない。これについてはちきりんさんの"自分のアタマで考えよう"を参照。

知識を得ることと、思考することは異なる。
思考するためには知識は必要だが、必要十分ではない。

 

2. 継続する

毎日書くことは本当に大事。

書くことがなくても、書くべきことが自分にはあると信じることが大事だとはあちゅうの"言葉を使いこなして人生を変える"に書かれている。

毎日書くメリットはたくさんある。
それにも関わらず、ほとんどの作家志望者やブロガーを目指す人は、途中で書くことをやめてしまう。
忙しいのかもしれないし、ネタがなくなったのかもしれない。

それでも意地でも書き続けている人だけが作家やブロガーとして活躍している。
続けた人しか成功してる人はいない。きっとこれは他のあらゆる分野に通じる。

これが夢を叶える1%と夢を諦める99%の違いとのこと。
続けたところで夢が叶う保証はないけれど、続けないと叶わないのは間違いないのだ。


特に、継続して毎日書いていくと、インプットの精度が上がる。
情報収集を念頭に、情報を入手しようとなるからだ。

大量のアウトプットを支えるの大量インプットであり、毎日書くためには、毎日何かしら読まなくてはいけない。

加えて、毎日の読書のとき、良い文体や論説に触れ、それを精読をした上で執筆に臨むと、無意識的にあるいは意識的により良い文章の書き方を試す訓練ができる。

また書くことは思考を整理することでもあり、情報の整理にもなる。

 

3. 語彙と表現力を身につける

知らない語彙に出逢ったらその都度メモをし、意味を調べ、どんな文脈で使われるのかを確認する。そして、できるだけ早い時期に自分でも使ってみると良い。今回自分は佐藤優さんの本で"要諦"(=コツ)という単語を学んだので使ってみた。


自分が良いなって感じた表現はまとめていく。
その時、風景描写・人物描写・心理描写・コピー・言葉遊びの5つに分類するといい。

小説にしろ、新聞記事にせよだいたいこの5つに分類できると思う。


コピーは、コピーライティングのコピー。
人の心に刺さるような、どこかテンポよくリズミカルで、本質的な文。
コピーライターやってた人や人気ツイッタラーはこのコピーを作成するのが上手いと思う。

 

言葉遊びは、例えば回文とかのこと。
西尾維新さんはとても上手い。※そもそもNISHIOISHINは点対称なのだ!
あとはRADWIMPS野田洋次郎さん。※最大公約数の歌詞は芸術ものだと思っている!
コツは連想力だと思っていて、普段から遊び感覚で、言葉と戯れると良いだろう。

良い言葉遊びがあれば教えていただきたい。
てか一緒にトレーニングしたい。

では今日はこんなところで。

 

知の操縦法

知の操縦法

 

  佐藤優さんの"知の操縦法"。最近本出しまくってて、中にはなんだかなぁって本もあるけれど、この本は良い。体系知や哲学(特にヘーゲル精神現象学)に関心がある人は一度読むと、勉強の仕方が洗練される。

言葉を使いこなして人生を変える

言葉を使いこなして人生を変える

 

こちらははあちゅうの"言葉を使いこなして人生を変える"。エッセイテイストの本。
この人は言葉が好きなんだ!自分と同じタイプの人間だ! と気づき、はあちゅうを好きになるきっかけになった本。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 言わずもがな。現代のビジネスマンの必読書と言ってもいいちきりん三部作の1冊。
まだ読んでない人はまさかいないよね…??(←煽り)

 

だらだらなるままに。

昨日はすらすらと言葉を綴ることができた(できはさておき)けれど、今日はなかなか筆が進まない。
過ごし方は昨日とだいたい変わらないのにな。
0からウンウン頭をひねりながら書くよりは、別の読書をしてから書くほうが書きやすいってことを学んだから、最近は精読を1時間くらいしてから自分の文章を書き出している…

…が、今日は書けない。苦しい。うああ。

 ☆

前どこかで読んだ本に、「作家は1つのテーマで何通りも文章を書けて一人前」というフレーズがあった。また、「自分の得意分野でなくても、依頼されたら一つの記事を書くことができる」とも。

書くためには知識がないといけない。歴史から世界のこと、人間の心理から芸術に至るまで。頭の中に保存された膨大な言葉の羅列から、適宜選びとって文章に落とし込む。その過程で、独自の考えを練り上げないといけない。いわばそれは知的作業の集大成みたいな作業だ。

自分は別にライターを目指しているわけではないけれど、一流の作家さんは本当にすごい。西尾維新なんて一日に書く文字数は2万を超えるという。2万ってなんだ?自分が1時間書けて必死に書いた2000字の10倍だって!?書くのが生業とはいえ次元が違い過ぎるだろう。

 

作家はすごいよ本当に。

 

作家でなくとも、Facebookを見渡していると、この人すごいなって人はたくさん見かける。一つ一つの文章が練りこまれていて、深い知性と洞察が伺えて、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。それでいて自分より何歳も年下だったりするのだから、もはや焦りしかない。はぁ。



今日うまく書けない原因があるとすれば、それは昨日から今日にかけて、文章のテクニックに関する本をいくつか読んだことだろうな。
●「が」と「は」の違い
「が」は格助詞で、「は」は係助詞。格助詞である「が」は主格を作るが、「は」は作らないらしい。
●接続詞の正しい使用法
「ので」は「根拠・理由・原因」、因果関係がしっかりしていないとトンチンカンな文になる。
●文章の組み立て方
過去・現在・未来と時の流れに沿って、その変化に注目して書いてみると良い。
●比喩表現のコツ
比喩のトレーニングにはなぞなぞが便利。空に浮かんだわたあめはなーんだ?→雲!みたいな。
●細部に気づく方法
視点をたくさん持つことで細部へと視点を移していくことができる。

…色々勉強してみたけれど、それがかえって書くことのハードルをあげてしまった気がする。勉強したのだから、質の高い文章を書かないといけない…!そんな風に無駄に気負ってしまってなかなか書けない。

下手くそで内容の薄い文章で今日は良いと思うことにした。
そうだ。今は下手くそでいい。
自分の頭の中にある内容をうまく言語化する力とスピードを身につけるのが今一番の課題。

駄作だけれど今日のところは許してくだされ。