良い本について

本屋に立ち寄るのが好きだ。

 

授業や実習が早く終わって時間を持て余した時、

なんだか疲れてしまって勉強もタスクもやる気がおきない時、

本好きな友達とふらふらと新宿や千葉を歩いている時、

 

吸い込まれるように書店に入っては、ゆっくり物色して、結局何も買わずに帰ったりする。

時には衝動的に数冊買ってみたりする。

 

本屋の匂いも好きだ。

紙独特のあの本の香り、そこにいろんな人の知識と経験が詰まっていると思うと少し愛おしくなる。

 

 

良い本ってなんだろう。

僕はつい積読してしまうたちだから、買ったものの最初から最後まで読み切れていないものはたくさんある。

常に数冊の本を並行して読む乱読タイプってのもある。

でも、数冊はやっぱりページを繰る手が止まらないものはあった。

読む前と読んだ後では自分の世界の見え方が変わるような、そんな本は、何冊かあった。

 

高校生の時に読んだ「人間失格」はそうだと思う。

自意識過剰なあの年頃には、この本は、まるで直接語りかけてくるかのように、心に響いた。

 

3年前に読んだ「ノルウェイの森」もそうだ。

悩んでいるのに悩みを言葉にできないことにしんどさを抱えていたあの時期、この本に出会って、僕が言葉にしたかったことの多くが綺麗に描かれていて、こんな文章が書きたいと心打たれた。

 

良い本とはなんだろう。

ただただ面白い本では、それはエンターテイメントとなんら変わらない。

きっとそれは少なからず、読んだ人の人生に影響を及ぼすものなんだと思う。

そしてそんな存在に出会えるのは、やはり若い時期が多い。

この多感な時期に、もっと心に衝撃を受けたいと思う。

 

 

 

インターネットの哲学

インターネットってすごい。

 

インターネットに関連することだけで何万って本や論文があるわけだけれど、一番は個人が気軽に発信できるようになったことだと思う。

 

確かに昔から手紙はあっただろうし、本もあった。

でも、

手紙はその人が死んでいなくなってしまえば、人知れず失われてしまうし、

本も有名な人の本しか世代を超えて残ったりしなかった。

 

それがインターネットが発明されて、情報が半永久的に残るようになった。

個人が発信した情報が、様々な場所にあるサーバに保存され、残り続ける。

情報過多の世界じゃあ埋もれてしまうけれど、それでも世界のどこかに自分のいた痕跡が残り続けるって嬉しいと思う。

 

 

文章力は階段状に上達していく

文章力を鍛えたいと日々思う。

自由に、思うままに、自分の心に映るものをスラスラと紙に描くことができたらどんなに気持ちが良いだろうなって。

小説を読むたびに、Twitterで良い言い回しを見つけるたびに、「ああこう言いたかったな」「自分もそう思った」って思って、その度にどこか悔しい。

うまく言葉にできない自分の言語化力に寂しくなる。

 

どうすれば文章力は上がるのだろう。

高校の時自分が書き殴っていたノートを読み返すと、それはもう見ていられない。

今だって大したことないけれど、時間をかければそれらしく書けるようになった。

何が原因なのかよくわからないけれど、一つは好きな作家に出会ったことだろう。この人みたいに描きたい!って熱意から、一人の作家の本を舐め回すように読み込んだ。音読もして、好きな章は何時間も書けて、別の紙に書きなおした。

 

その時は夢中だったけれど、その時に間違いなく文章力は上がった気がする。

でも、その写し書きや音読をずっと繰り返していれば上達するかといったらそういう訳でもない。

きっと文章力って階段状に伸びていくもので、その時のレベルアップの条件が"好きな作家に出会うこと""好きな作品を心に刻み込むこと"だったんだと思う。

次のレベルアップの条件はまだわからない。

 

でもきっと書き続けることでしか上達はしないのだろう。

noteでアカウント開設

noteでアカウントを開設してみた。

noteについてはこちらを参考に。

ブログでもSNSでもない「note」は未来を生み出すコンテンツ・プラットフォームだ | Lifehacking.jp

自分としてはnoteはブログよりも、クリエイターの自由な活動を後押ししている感じがして好き。

投げ銭とか、購読とか、コンテンツを売り買いする土台も整備されてる。

Twitterやnote、ブログなど各々で、しっかり役目は分けたいと思う。

うまく軌道に乗せられるといいな。

note.mu