考えるべきは日本単位ではなくアジア単位


今日はこんな興味深い記事を読んだ。

工場やコンビニ「外国人がいないとやっていけない」のが現実│NEWSポストセブン

簡単に要約すると、もう日本の地方や工場、農業などは、外国人労働者の低賃金長時間労働によって成り立っているということだ。
数年前からニュースで時折取り上げられるようになっているとおり、今の日本人は低賃金での長時間労働の労働なんて誰もやりたがらない。一方で少子化で生産年齢人口は着々と減少しており、年々そういった職場の人手不足は深刻化していく。

 

本当にこの5年間ちょっとで、特にコンビニは様変わりしたのを実感している。
自分は千葉の都心部にいたわけだけれど、もはや外国人の店員さんの方がよっぽど多い。
同じような現象が、地方の工場や農業などでは平然と見られるということなんだろう。

そして、働き手不足を日本の企業がどこから補充しているかというと、アジアの新興国。一昔前は中国、今はベトナムなど。コンビニではインド人っぽい人もたくさんみる。
記事の通り、もうすでに日本は外国人労働者によって、いやもっと正確にいうのなら外国人労働者を搾取することによって成り立っている国だということ。

国が彼ら彼女らを、認めようが認めなかろうが、この国を下支えする必要不可欠な存在なのだ。

 


自分がこのニュースを読んで気になっているのは、日本は日本のことだけを考えていていいのか?といことだった。


これだけの外国人が国内で低賃金長時間労働をさせられているということは、日本という国はもはや日本人だけの国と捉えるべきではないだろう。
アジアの各国、中国やインド、ベトナムインドネシア…10年前とは比較にならないレベルで彼らの日本での影響力は強まっている。

 

日本という国を日本人だけの問題から見ることは間違っていないか?
自分は貧困問題や少子化問題、労働問題などなどを日本人に特有の切羽詰まった問題として見て、ほかの国の詳しい事情にはあまり関心を払っていなかった。

 

しかしだ。
中国は一人っ子政策の後遺症で、日本の後を追って超少子高齢化社会に突入することは当たり前だ。
現在高度経済成長を遂げている東南アジア諸国は、20年以上前の日本の高度経済成長期の労働問題・環境問題を繰り返している。
日本は日本の医療を輸出するために、近年千葉の国際医療福祉大学に医学部を新設した。

挙げればまだある。調べればもっと出てくるだろう。
肌感覚で捉えようとするとおそらく間違える。
冒頭のコンビニの例のように、かなり深いレベルで日本はもう東南アジア各国の人と切っては切れない国になっている。

であれば、考えるべきは日本単位ではなく、アジア単位で問題を認識し対処していく必要があるのではないか。