哲学カフェに参加してきた話

今日は哲学カフェというイベントに参加してきた。
大学のゼミ生が主体的に行なっている企画で、"哲学"といっても堅苦しいものでもなく、初心者・初参加者にとっても居心地の良い空間だった。
手法的にはダイアローグという対話の技法を使った討論だった。

 

ダイアローグというのは、もともと異なる意見を持った人々同士が対話で衝突を乗り越えていくために開発された列記とした方法で、 

ダイアローグ 対話する組織

ダイアローグ 対話する組織

 

ハウツーなどは、この本に詳しく載っている。
基本は、
・発言において参加者は皆立場が平等であること
・話者の話を折ったり、頭ごなしに否定しないこと
・なぜそう考えるのかを掘り下げていくこと
などをルールとして話し合っていくってもの。

話者はついつい話しすぎてしまうので、3分という制限をつけたり、話の割り込みを防ぐために(あるいは発言しやすくするため)トーキング・オブジェクトといって、話者が目印となるぬいぐるみなどを手に持って発言するルールを付け加えることもある。

 

今回は"正義"がテーマだった。
真っ白な大きなホワイトボードの中心に"正義"という2文字が書かれ、「"正義"ってどういうものだと思いますか?」「正義って良いこと?悪いこと?」といった感じでファシリテーターを中心に少しずつ掘り下げていく。参加者は思い思いの発言をし、別の参加者が質問したり反論したりする(否定ではない)。

 

初参加で哲学カフェ自体初めてだったけれど、とっても楽しかった。

アンパンマンは正義なのか?
キリスト教は正義なのか?
・正義は権力に過ぎないのか?

徐々に参加者の議論が白熱していく。

・正義は時と場所によって変わるのではないか?
・そもそも正義であることと、正義の味方であることは分けるべきなんじゃないのか?
・正義かどうかは、後々の評価によるのでは?であればその評価基準はなんだ?
・絶対的な正義は存在しないのか…?

 

気がつけば2時間はあっという間で、"もやもや"は宿題としてみんなが持ち帰ることに。

自分としては、
絶対的な正義は存在すると思う。
絶対的なというのは、時にも場所にも左右されない正義。
そしてそれは"人が生きようとすること"だと考える。
"人が生きようとすること"を相対的な正義だと判断してしまったら、それこそ状況次第で"あなたは生きてはいけません"と主張することができてしまう。
人の命が軽んじられる状況がどこかしらから生まれてしまう。
正当防衛だから、医療資源がないから、財政が枯渇しているから、死刑囚だから…
どんな条件があっても、"人が生きようとすること"自体を正義ではないと見做すことはできない、ゆえに自分は絶対的な正義として"人が生きようとすること"を提唱する。

 

もちろんこの考え方にも批判できるポイントは多々ある。
戦時中にこちらが攻めなければこちらが殺されるケースはどうなんだ?とか
人を特別視して、同じくらい知能の高いイルカやゾウ、チンパンジーらはどうなんだ?などなど。。

 

これらに対しても反論は用意しているけれど、今日はここまでにしよう。
読者はどう思うだろうか?