休学について

もう長いこと休学について悩んできた。

はじめに休学という選択肢が頭をよぎったのは、大学2年生の頃だったと思う。
当時私は医学部以外の人から、学生でない人まで幅広く人に会って刺激を受けていた。
自分の知らない世界がたくさんあることを知って、それらをより深くクリアに考察するためには、ゆっくり時間を取ることが必要だと感じていた。

本を読むことと英語を克服することの重要性を痛感していた。
世界史や人類学や社会学、心理学や哲学の本を片っ端から読みたいと思っていたし、
英語を使って世界中の人と議論をしたいと思っていた。

結局休学はしなかった。

それは"何をするため?"という質問に最後まで答えられなかったのだ。

本を読むため、留学をするため、現場を知るため、それらでは休学をするには理由は十分ではなかった。
本を読むことも留学をすることも現場を知ることも、学生生活を送りながらやろうと思えばできるはずのことだったから。
できるのにしないのだとしたら、それはただ自分の努力が足りないことになる。

私は踏ん切りがつかずに諦めた。

それで良かったのかどうかはわからない。
もしあの頃に休学に踏切り、海外で数ヶ月過ごし、英語を克服し、浴びるように読書をしていたら、今の自分にはない可能性が拓けていたかもしれない。

でも同時に、あの頃の自分は、自身の経験を体系化して血肉としていく力は不十分であったから、そんな状態では世界を見て聞きしても、知ったことの多くは人生の糧にならずに泡になって消えたことだろう。

私は学生を続けることにし、今に至る。

そして、長年の休学への願いは、卒業後に1年間働くことなく放浪することで叶えることにした。
マッチングはしていない。
皆がESを書き、マッチング試験対策にいそしむ中、私は家で本を読み漁っていた。

「1年間何をするの?」とよく聞かれるけれど、実のところ私は1年間特に何をするか決めていない。

決める必要はないと思ったのだ。

自分の中で、医者になる前の20代前半に自由な1年間を設けた人生と、そのままエスカレーターのように医者になってキャリアを築く人生を比較した時、圧倒的に前者が魅力的に感じ、後者の道を選んだ場合一生後悔することがわかりきっていた。

だから、前者の道を選ぶことに迷いは全くなかった。

その時何をするかはその時決める。

やることは特別決めていないが、やりたいことは山のようにある。

数年前と比べて良いのは、自分の人生かけて関わりたいテーマがはっきりしていること、知識や経験の体系化ができるようになったこと、世の中の仕組みに詳しくなったことだろう。

これらの基盤がしっかりしていれば、どこにでも立ち向かえると思った。
どんな経験をしたって、それを無駄にすることはもうないと思った。

休学はしたいならすればいいと思う。
いや、できるならすればいいと思う。
国公立の大学であれば、学期の切れ目に注意すれば、学費もかからずに籍を置いたまま、休学することができる場合が多いはずだ。

たとえ思いっきり無駄にしたかのように思えても、人と異なる経験をしたことは、確実に財産になる。
人生初期の1年,2年の遠回りに無駄なことなんて何一つない。

休学をして初めてやりたいことが見つかることもあるだろうとも思う。
未来が不透明なこの時代に、ストレートで社会人になることもリスキーだとも言える。

正解はない。
後悔しない選択をし続ければうまくいくと思っている。